アシュナスの修練は、
必然的にゼイゴウの教えの影響下にあった。
ゼイゴウ曰く。
狩りとは即ち禮(れい)である。
化け物狩りは村人を守る行為であり、
また慣わしでもあったが、
禮はそれらを包括した概念であると
ゼイゴウは捉えていた。
禮もまた古の言葉であるとされ、
時と共に
フディアト達に重んじられるようになった。
禮とは思想ではなく、
行動を伴った在り方であるとされた。
だが、実のところ
禮についての捉え方も
極めて主観的であり、
ゼイゴウにはゼイゴウの禮があり、
他のフディアト達も、
概ね方向性は似通っているものの
差異のある禮を持っていた。
『言葉は指標にはなるけどさ、
それそのものではないからねー。』
かつて賢者キトはアシュナスにそう話した。
禮ほどそれを示す言葉もない。
それぞれの禮は感覚で掴むしかなった。
畏敬、
大いなるものに自身を投げ打つ。
我欲の放棄。
また時には
より丁寧な礼節、敬意の表現。
言葉として表現する事ができたが、
実態を語ることはできない。
アシュナスは
化け物に敬意を抱いたことなど
一度もなかったが、
自身の命を大いなる流れに
投じる感覚を掴み始めてから
鬼神と謳われるようになった。
またアシュナスには
棺に入っていようがいまいが
キアンディナという守るべき存在がいた。
故に我欲など入り込む余地はなかった。
修練でも狩りの本番さながらに
意志を統御する。
アシュナスは修練場で
木鱗肢(もくりんし)と呼ばれる
木で化け物を模した
修練具に自在器たるフディアを振るった。
木鱗肢は芯棒を軸にして
それぞれが独立して回転する段を
重ねた部位で出来ており、
各段からは無造作に鱗肢を模した
木片が突き出ている。
一本でも打てば、
その段が唸りを上げて回転し、
遅れて他段が追随する。
軋み、風を裂く音が重なり、
木鱗肢は不規則な牙となり刃となり
あるいは鞭となって暴れ出す。
アシュナスはその渦の中に踏み込み、
避け、打ち、また避ける。
これが基本の修練であった。
かつては木鱗肢(もくりんし)の
修練後に、
師であるゼイゴウが
アシュナスに稽古をつけた。
当然木鱗肢とは比べ物に
ならない程の激烈な稽古であった。
時には霊水を駆使し、
時には霊水に頼らず。
ゼイゴウは
アシュナスの禮画が増える度、
それぞれに対応した訓練を行った。
笠を目深に被り、
視界を遮った状態での稽古もあった。
ゼイゴウはアシュナスを
突き離し、打撃を与えた。
アシュナスは時には耐え、時には壊れ、
研磨された。
アシュナスは師との稽古で
幾度となく気を失い、
師から
化け物を狩る数々の方法を教わった。
そして何より言葉を超えて
禮を教わった。
実戦前の幼きアシュナスにとっては
化け物よりも師が脅威であった。
だが、
ゼイゴウがどれほど
無慈悲に思える一撃を見舞おうが、
そこにアシュナスを絶命たらしめる意図が
無いのであれば、それはかの化け物とは
比べるまでもない。
化け物は自在者たるフディアト達に
一切の容赦などしないのだから。
その場にいるフディアトを
全て絶命たらしめるか、
ヨルグナで染めるまで
その場を去ることは無い。
木鱗肢(もくりんし)の
修練を終えたアシュナスは
修練場の端にある
書の棚から一冊の書を手に取り
目を通した。
エニファル村の修練場には
百冊ほどの書籍があり、
主にタラトット狩りにまつわる
心得、技法について記されていた。
いくつかの書籍は詩の書籍である。
そして、
かの霊水にまつわる
女神の絵物語が一冊あった。
アシュナスは数々の書によって、
賢者がこの世にもたらしたとされる、
言葉や字の理解を深めた。
ゼイゴウの弟子となって
今日に至るまでの間に、
修練場にある全ての書に
目を通したが、
書はアシュナスに
未だ何がしかの気付きと発見を
もたらした。
書を読む事もまた、
アシュナスにとっての修練であり、
字の理解は禮画の理解に通じた。
アシュナスは書を閉じ、
自らの住まいに戻った。
靴を脱ぎ、
浄化の間に向かった。