アシュナスは水山から帰還し、
石舟でエニファル村に到着した後、
舟着場(ふなつきば)には留まらずに
石舟に乗ったまま、
飯種(めしだね)樹園に向かった。
石舟に乗せている複数の水甕(みずがめ)の内から一つを選び樹園に置いた。
アシュナスは
置いた水甕の蓋を開けて水をすくい、
飯種の樹に一本一本淡々と水をやった。
そして飯種の樹に実った
飯種を摘み袋に入れた。
飯種の樹はアシュナスの背丈程の樹木で
一つの樹に毎日
二、三粒の実を付ける。
飯種の樹の樹皮は乾いた土の色をしており、
葉は無数の針のようで薄緑色をしている。
そして飯種の樹は一年中葉をつける。
飯種の実は種と同義であり
柔らかな乳白色の殻に包まれている。
中身の胚や胚乳も同様の色をしている。
飯種は細長い楕円形で
成人の指ほどの長さと幅があり、
両端に向かうほど少しずつ細くなる。
殻は力を込めれば乾いた音をして割れ、
中身は薄い膜で包まれているため
容易に割れた皮をはらい、
そのまま食すことができる。
だが飯種の殻は様々な用途に用いるため
ほとんどの場合、捨てられずに
殻甕(からがめ)に収められる。
飯種の中身の食感は殆ど水分を感じ無いが
硬すぎることもない。
十回も咀嚼すれば食べ切ることが出来る。
飯種に甘味はない。
そして美味とは言い難い。
だが飯種を食し、
確かな修練を積むことで
相応の肉と血と骨と歯を育てる事ができる。
故に飯種を
修練食、あるいは鍛錬食と呼ぶ者もいた。
飯種は食糧であると同時に、
時に貨幣のようにも扱われるが、
その価値は主観や村の風習によって
大きく揺れ動く。
多く集まれば価値を持つが、
少量であれば顧(かえり)みられる
こともない。
故に、無用な争いを避けるためか、
エニファル村では
飯種を必要以上に多く育てることはない。
また、
人の価値観に左右されずに
飯種を狙う存在もあった。
葉の如き翅(はね)を持つ、
毒葉蟲(どくはむし)である。
エニファル村の飯種樹園には
百日に一度程、
単独で現れることがある。
毒針で飯種の樹を弱らせ、
小さな鋸(のこぎり)の如き歯で
枝を切り三本の脚で抱え込んで
持ち去る。
厄介な蟲ではあるが、
手のひらほどの大きさのため、
翅音が騒がしいので
現れると直ぐに気がつく。
灰に弱く、一振りまけば退散する。
また、ごく稀に絶命することもある。
灰を浴びた個体は毒と、鋸(のこぎり)の
ような歯の鋭さを失い、
実質無害となる。
当初こそ灰を持つ手が震えた
アシュナスだが
今ではかつての記憶に精神が
乱されることも無く、
毒葉蟲を見かけるや否や灰を
瞬時にまくようになった。
飯種を地に撒けば三千日程で
成木(せいぼく)となる。
飯種は保存も効く。
三百日程は摘んだ後も
食すことが出来る。
飯種樹園には
十数本の飯種の樹が生えている。
アシュナスは樹園で毎日
三十粒前後の飯種を摘む。
一人が一日十粒程度食せば
事足りるほど栄養価に優れており、
かつてエニファル村では
一軒の建物に必ず最低でも二、三本の
飯種の樹が生えていた。
だが、飯種の樹は高頻度で
水をやる必要がある。
十日も水やりを怠れば
実を付けるようになった成木でも
枯れてしまう。
次第に自堕落になっていった
エニファル村の村民には
相性の悪い樹でもあった。
飯種の樹の数が減少するにつれ、
エニファル村は無用な争いを
生む原因と共に活力を失っていった。
アシュナスは
飯種の樹に水やりを終えると
残ったもう一本の樹に目をやった。
飯種樹園にありながら
飯種の樹ではない樹木。
それはキアンディナの好物が成る、
焼きの実の木であった。
樹皮も葉も赤みがかかっている。
葉は冬に成れば落ちる。
およそ千日ほどで成木(せいぼく)となり
百日に一度ほど木の実をつける。
以前実をつけてから、
既に百日は超えていたが、
アシュナスの眼前にある
焼きの実は鎮まりかえっていた。
この木にも毒葉蟲は当然やってくる。
キアンディナの憤怒は想像に難くない。
アシュナスは焼きの実の木にも水をやり
樹園を後にし、
ゼイゴウの住まいに向かった。
アシュナスは
ゼイゴウの住まいの
机の上に先程摘んだ飯種の内、
半分程の量が入った
飯種入りの袋と水甕の一つを置いた。
もう半分の飯種入りの袋と水甕は
自らの住まいに置いた。
そこから石舟を舟着場に停めに行き、
再び歩いてゼイゴウ邸内にある
修練場に向かった。