レキファト村の舟着場には
何艘もの石舟が並んでいた。
この村にはかなりの数の
自在者たるフディアトが
いるのだろうとアシュナスは思った。
キトとアシュナスは
それぞれ大岩船と石舟を
舟着場に泊め、
村の中を歩き始めた。
キトと共に歩くアシュナスの目に、
村を見渡せるであろう
小高い丘の上にある巨木が映った。
幹も葉も純白の木であり
おそらく霊木、
または御神木なのだろうと
アシュナスは思った。
続いてアシュナスが見たものは
村の中央にそびえる紋章塔であった。
当然、
レキファト村の紋章塔には、
ウィルカルの笠に刻まれていたものと同じ、
レキファト村特有の
紋章が刻まれている。
そしてやはりこの紋章塔も
笠の如き屋根と、てっぺんには
召喚光を放つための
律氷たるシアレイシェムが
備え付けられていた。
アシュナスは、
数人の村人たちが紋章塔を
丁寧に磨いている姿を見た。
その光景を見て、
アシュナスは思い出していた。
自身の村では、
村人たちは化け物の発生を
予告する召喚光にしか興味を示さず、
紋章塔そのものを気にかける
者などいなかったことを。
ただ一人、師だけが、
今もなお毎日のように塔へ
祈りを捧げていることを。
村を歩いていると、
賢者キトやアシュナスに
軽く会釈する者もいれば、
気にも留めず通り過ぎる者もいる。
レキファト村の村民にとって、
賢者の来訪は、
もはや特別な出来事ではないのだろうと
アシュナスは理解した。
自身の村である
エニファル村に賢者が訪れることなど
めったに無かった。
もし訪れようものなら、
エニファル村の住人達はヒソヒソと
ざわめき、良くない噂を立てる。
そして実際に賢者は、
ゼイゴウに不吉な話ばかりを運んできた。
それがエニファル村にとっての
賢者キトであった。
だがそれも、もう昔の話。
エニファル村には
アシュナスと棺に入ったキアンディナ。
そして欠損により祈り手となったゼイゴウ。
この三名以外は誰も存在しないのだから。
このレキファト村では賢者同様
アシュナスを気に留める者も
殆どいない。
無関心なのではなく
それぞれの生活が充実している
からなのだろうとアシュナスは思った。
もう一つの理由として、
この村には他村から
定期的にフディアトが
訪れているのだろうとも考えた。
舟着場に泊められていた石舟には、
何艘もの似た形の舟に混じって、
明らかに異なる形のものが
いくつかあったからだ。
他村からのフディアトが
定期的に訪れるからこそ
自分もありふれた
来訪者の一人とみなされているのだろうと
アシュナスは思ったのだ。
実のところ
アシュナスは少し
身構えていた。
笠と羽織りを石舟に残していくべきか
思案していたためである。
問題は笠に刻まれた
エニファル村の紋章であった。
『あんたの紋章はうちの村では
有名なんだ。』という
ウィルカルの言葉がアシュナスに
残っていたため、
レキファト村の人々を
万が一動揺させてしまう
可能性を避けるべきか検討したが、
やはりアシュナスは
有事の際にすぐに対応するために
笠と羽織りは着用することを
決断していた。
だが、村人達のアシュナスへの
関心具合を見て
アシュナスは
自身の懸念がさしあたっては
杞憂(きゆう)に終わったと理解した。
レキファト村には井戸があり、
大人も子供も順番に並んで水を汲んでいる。
子供に順を譲る大人もいた。
小さな川が流れており、
子供達がはしゃぎ
色とりどりの小魚が
日の光で鱗を小さく光らせた。
魚を網ですくい捕まえる者や
うたた寝をしながら釣りをする者もいた。
アシュナスがふと傍の茂みに目を移すと、
妖精の姿を見た気がした。
広がる田園地帯に、
金色の穂をつけた作物が風に揺れ、
その間を縫って、小道が続き、その先には
色とりどりの花々が咲き乱れていた。
畑や果樹園もあり
様々な穀物や野菜、果物を
収穫している人々の姿が見えた。
村には小さな家々が立ち並び、
壁や屋根は優しい色調で彩られていた。
それぞれの家には花壇があり、
祝祭日の衣装を思わせるように、
茎の長い花も短い花も
色鮮やかに咲いている。
煙突からは白い煙が上がり、
家々からは
穏やかな日常の香りが漂っている。
いくつかの家では動物を飼っており、
動物達はそれぞれ
庭を走り回ったり、あくびをしたり
のんびりと過ごしていた。
どの家の動物も餌に飢え
目をギラつかせている様子は無い。
家々の間にはゆったりとした距離があり、
足元には石畳が敷かれ、
人々が歩くたびに
コツコツと楽しげに音を立てた。
道すがらに街灯が点々と設けられており、
夕暮れを待たずとも、
そこに灯る温かな光景が
アシュナスには容易に思い浮かんだ。
レキファト村の建物の
屋根の形は様々であったが、
ほとんどの建造物が
エニファル村のように、
笠の形状はしていない。
代わりに、笠の形をした飾りが
戸口のあたりに備え付けられていた。
恐らく、
タラトット避けの祈りが
込められたお守りのような
ものだろうとアシュナスは思った。
舟着場に何艘(そう)もの
石舟が並んでいたことから
予想した通り、レキファト村で少なくとも
数十人以上の自在者たるフディアトを
アシュナスは見た。
訓練の様子もそこかしこで見てとれる。
それぞれが自在器たるフディアに
霊水ティアマナシアで意志を現し、
個々の個性を活かしながらも、
体系化された知識を
次代へ引き継ぐための訓練
に従事していた。
アシュナスには
レキファト村のフディアト達の
自在器たるフディアがどれも
簡易的な見た目に見えた。
おそらく、狩りよりも大切な
ものに重きを置いているのだろうと
アシュナスは思い、
自身の五つの禮画に同情した
ウィルカルを思い出した。
アシュナスはフディアト達の
訓練から目を移した。
視線の先には紋章塔があった。
遠くからは分からなかったが、
紋章塔の周りを囲むように
椅子が設置されており、
老人や子供達が集まっている。
ある老人は杖に手を掛け座り、
穏やかな目で子供たちを見守っている。
編み物を手に取りながら、
子供達の話に頷く老人や
昔話を子供達に伝える老人がいた。
それぞれの顔には歳月の刻みがあるけれど、
その笑顔はどこか輝いていて、
レキファト村に降り注ぐ
日差しのように温かい。
アシュナスの脳裏に
ヒャルセオがよぎり、
自らに一撃を加える師匠が想起され、
エニファル村の最後の老人が浮かんだ。
そしてもう一度、紋章塔の周りに集まる
老人と子供達を見て、
その光景が現実であることに、
そして自らの境遇とは
全く違う子供達の姿に、
アシュナスは胸を撫で下ろした。
風が優しく吹き抜け
村の木々が静かに揺れ、
葉の音がささやくように響く。
レキファト村の光景は、
化け物のことも
禮画のことも時が経つことも
キアンディナのことでさえ
一瞬アシュナスに忘れさせた。
アシュナスには
レキファト村全体が温かな光に包まれている
ように見えた。
アシュナスは、
この村以外の紋章を刻んだ笠を
村のあちこちでちらほらと見かけていた。
アシュナスの推察通り、
レキファト村が周辺の村々と
交流を持っていることが
改めて見てとれた。
自身の村である、
エニファル村周辺の常識から
すれば驚くべきことだが、
やはり他村からのフディアトの往来は
この村では日常的なものなのだろうと
アシュナスは思った。
だからこそ、レキファト村には
小さな宿屋や飯屋など、
おそらく他村のフディアト専用の
店がいくつか存在していた。
だが“小さな”店であるということは、
往来の数もそこまで多くはないのだろう。
そう思うと、
アシュナスは少しだけ安心した。
アシュナスは
他の村もこの村のようであればいいとも、
他の村の者達が皆この村に
住めば良いのにとも思わなかった。
この村は多くの者達にあまり
知られるべきではないと思った。
自らも覚えておくべきではないとさえ
思った。
そしてアシュナスはウィルカルが
この村で育ったことに納得感を覚えた。
アシュナスは
自分が化け物を狩り続けたことは
少しだけこの子供達を守ることに
繋がったのだろうかと思った。
もしそうだとしたら
アシュナスは
礼を言いたいと思った。
具体的な対象者はいない。
ただその感覚だけが
静かにアシュナスの中にあった。
だがアシュナスは、
すぐに思い直した。
そもそも自分に、
この村の温かさを
享受し続ける資格など
あるはずがないと。
守れなかったのだ。
多くのフディアトを。
キアンディナを。
ウィルカルを。
アシュナスはそう、
自らに強く言い聞かせた。
そして冷静さを取り戻すと、
そもそもなぜ自分は
この村に来たのかと自問した。
賢者に連れられて来たからだ。
それは分かっている。
だが…
何のために?
アシュナスは、
すっかり存在を忘れかけていた
傍らの賢者へと視線を向けた。
だがこの男が真意を語るはずもないと
理解していたため、
問いを投げる気さえ起きなかった。
アシュナスが
そのようなことを思案しながら
紋章塔からしばらく歩いた先に
石畳が整備された広場があった。
中央は石畳の無い丸い草地となっており、
緑の絨毯のように
刈り込まれた草が生えていた。
少年たちが楽しげに走り回り、
足元の草を踏みしめて、
無邪気な笑い声が響き渡る。
少年たちは木の枝にも見える棒を片手に、
フディアトの真似事をして遊んでいる。
石畳外縁の一区間には
花々が咲き誇り
少女達が時折風に揺れる花の香りをかいでは
優しく花を鑑賞している。
少年や少女達は、
先程まで紋章塔の周りで老人達といた
子供達よりは少し年上に見える。
だが、これまでにこの村で見た
訓練中のフディアト達に比べれば、
まだかなり幼いとアシュナスは思った。
しばらくすると広場に
移動式の木板を転がし、
小脇に様々な書籍を抱えた女性が現れた。
その女性は
ウィルカルやレキファト村で
アシュナスが見てきた多くの
フディアトのような、
狩りさながらの禮装を着用していた。
その女性もまた
フディアトであることが
アシュナスにはすぐに分かった。
木板には様々な絵や図や文が描き込まれた
紙が鋲(びょう)でとめてある。
子供達はわらわらと女性の元に集まり
緑の絨毯の上にそれぞれの姿勢で座った。
アシュナスは
よく見ると先程まで
フディアトの真似事をして
遊んでいた子供達が
持っている棒状の物は
実際の簡易的な
フディアであることに気付いた。
花を愛でていた
少女達もいつの間にやら
自身のフディアを握りしめている。
木板を移動させてきた女性は
フディアトやタラトット狩りについての
授業を開始するのだと
アシュナスは理解した。
子供の一人が叫んだ。
「メルティリナ先生!」
メルティリナは穏やかな表情で
授業を始めた。
内容は『女神の伝説』。
かの霊水ティアマナシアの
出自にまつわる伝説についての
授業であった。