キアンディナが
ヨルグナに侵食されて間も無く狩りに赴き、
得体の知れない光景を
タラトットの最後の光の中に見て、
賢者の昔話か戯言か分からない長話に
付き合った結果、
『ニルヴァルク』という言葉を
アシュナスは知った。
数々の出来事によってアシュナスは
思考の整理がつかないまま、
石舟に乗りエニファル村に帰還した。
アシュナスは舟着場(ふなつきば)に
石舟を停めた。
舟着場の構造は
細った骨のような支柱が四本で
傘型の屋根を支える造りであり、
四方に壁は無かった。
アシュナスは
石舟を降り、
舟着場に設置してある
水甕(みずがめ)の蓋を開け、
柄杓(ひしゃく)で水をすくい飲んだ。
その水は水甕内に張られている
律氷(りっひょう)たる
シアレイシェムによって
清さを保っている。
清き水はアシュナスの喉を潤し、
狩りの疲労を僅かに癒した。
エニファル村の慣わしによって
飲み水を狩りの地へ持参する事は
禁じられているため、
アシュナスは
狩りの地やキトの大岩船内に
飲み水は持ち込まない。
だが、持参せずとも
キトの大岩船には
飲み水の入った水甕が積んである。
だが、その水を飲む事で
賢者に借りを作るように思えたため、
アシュナスは決して手を付けなかった。
柄杓(ひしゃく)は水甕の傍らに
設置してある鳥の巣箱の如き
柄杓箱に入っている。
箱の扉をあけると
柄杓を立て掛ける部位の
下方に小さな皿状の容器と
砕かれた『飯種(めしだね)』の殻と
火石が置いてある。
火石をぶつけ合わせ、
殻に火をつけると
水蒸気のような靄(もや)の如き
『浄気(じょうき)』を発しはじめた。
それはこの村では
一般的な浄化の方法であった。
柄杓を浄気が包み込んだことを確認し、
アシュナスは柄杓箱の蓋を閉め、
舟着場を出て
エニファル村を歩きはじめた。
エニファル村には飯屋も酒場もない。
時折鳥が来るが
無用と悟ったかのように、
すぐに飛び立つ。
村を囲う低い塀はあるが、
ところどころ
はるか以前に崩れ去り、
門もなければ
門番もいない。
巨大な四つ足の獣だろうと
悠々と歩いて入れただろう。
だが獣が貴重な命の時間を
エニファル村訪問に捧げるとは
かつて住んでいた
村人達も思ってはいない。
たまに見かける生物といえば
飯種樹園(めしだねじゅえん)に時折現れる
毒葉蟲(どくはむし)くらいであった。
人も獣も興味を示さぬ村であったとしても
アシュナスにとっては、
帰還するに値する村であった。
なぜならこの村には
キアンディナがいるのだから。
故に舟着場を後にした
アシュナスは
キアンディナの眠る棺が安置してある
ゼイゴウ邸に向かって歩みを進めた。
村の中央には
紋章塔が聳(そび)え立つ。
紋章塔も他のありふれた建物同様
笠のような屋根を備えており、
エニファル村の紋章が刻まれている。
紋章塔の屋根の先端には
召喚光を放つ律氷(りっひょう)たる
シアレイシェムが備え付けられている。
召喚光は察知する能力があれば
賢者の要請に村のどこにいても
気付くことができた。
村の建造物は様々な
形状をしていたが、
得てして樹木と泥を混ぜて神々が
遊び半分で作ったかのような形をしていた。
古き時代に賢者達が泥で暇を潰した。
という説もあれば、
タラトットに仲間と思われて
攻撃されないよう願いが込められている。
という説もあった。
入り口は
半円状に空いていることが
ほとんどであり、見た者に
簡易的な洞窟を想起させた。
建物には
幼子の握り拳一つ分ほどの
壁の厚みがあり、
窓や窓穴が設けられていることもあれば、
窓なしの建造物もある。
間口が広いため、かつての住人は
日の光に困ることは無かった。
雨が降れば布を垂らして
雨や風を防ぐこともあったが、
降ったとしても
ほとんどが小雨であり
風が吹いたとしても
そよ風程度、
雪は三百日一度降るか降らないか。
降ったとしても、
ほとんど積もることは無かった。
エニファル村のかつての
住人達は天候など大して
気にしてはいなかった。
かの化け物以上に
村の住人達の気分を落ち込ませ
焦燥感に包み込む要因など
ありはしなかったのだ。
そしてどの建物にも
笠状の屋根が備え付けられていた。
建物より随分と小さな、
屋根としての体を成していない
笠屋根が備え付けられていることもあった。
つまるところ屋根としての機能は
おまけ程度であり、
屋根が笠型である本当の意図は
ヨルグナ避け祈願であろうと
伝えられている。
あるいは笠を被り、
ヨルグナを防いで狩りを行う
フディアト達の姿が
建造物に反映されたのかもしれない。
化け物たるタラトットから
出で滴る恐ろしき冥府の如きヨルグナに
人々は古の時より恐怖していたのだ。
また、泥遊びの如き見た目の建物は
かの化け物の襲来に備え、
逃亡のしやすさ、再建のしやすさに
重点をおかれている。
という説もあったが
ひとたび村の建造物が
破壊されれば
建物が再建されることなどありはしない。
誰も神々の泥遊びを
再現出来なかったからだ。
賢者キト・レイヤルトも
建造物の様々な説を
村人達に語ったが
語る度にキトの口から異説が現れた。
まるで自由に形を変える
自身の着用するボロ布のように。
いずれにせよエニファル村の歴史は古く、
少なくとも村の住人は
生まれた時に既にあった先人の
お下がり建築を利用する他なかった。
だが今や、
この歪な建物のほとんどは
もぬけの殻である。
アシュナスとキアンディナ
そしてゼイゴウを除いた
最後の一人である老人は
千日ほど前に亡くなった。
村の付近に現れた
小さなタラトットが
村に入り込み、
老人は命を落とした。
小さなタラトットは
小さな針を飛ばし、
生きる権利を主張する老人を
射殺(いころ)した。
この老人は絶命にいたる何日か前、
アシュナスに
向かって言葉を放った。
それがアシュナスが聞いた
この老人の最後の言葉であり、
その言葉は今でも
アシュナスの脳裏に刻まれている。
アシュナスは
舟着場から村の北側にある
ゼイゴウ邸に向かって歩いていた。
道中、左側にある
大小様々な石ころが並べられた
場所に向かって、
アシュナスは自身の笠に手をやり
少し傾けた。
その石ころ置き場から
二十ほどの建物を通り過ぎ
アシュナスはゼイゴウ邸に到着した。