その日に現れたタラトットは
決して強い個体ではなかった。
一体ずつアシュナスが
狩ればなんてことはない相手だったが
化け物が同時に五体現れた
ことにより、
狩りの地は大混乱をきたし、
経験不足のフディアト達は
わめき、逃げ惑い、
次々とヨルグナを浴びた。
アシュナスが
最後に残った化け物の種を
霊水の矢を現し撃ち抜いた時、
アシュナスの足元に
淵(ふち)入りしたフディアト達が
十数人転がっていた。
無事だったのは
アシュナスのみであった。
「わぁーこりゃまた大漁大漁!」
アシュナスにとって
耳障りな賢者の声が聞こえた。
その日の光景は、
その賢者の言葉は、
久方ぶりにアシュナスの意識を
強く現状に留めた。
アシュナスの
意識は怒りに定着し、
その怒りは急激に増大し始めた。
アシュナスの脳裏に
ウィルカルが浮かんだ。
ゼイゴウの欠損が浮かんだ。
そして棺に入った
キアンディナが浮かんだ。
アシュナスの目は笠に隠れ
影に染まっている。
握った拳は僅かに震え
血管や筋は音をたてんばかりに
律動していた。
賢者は続けて
「笠は地にー
棺あふるる
夜のうみー」
「なーんて詩を思いついちゃった!」
とアシュナスに笑いかけた。
アシュナスの中で何かが
切れる音がした。
次の瞬間
賢者は捻(ひね)り切られる勢いで
胸ぐらをアシュナスに掴まれていた。
「何がおかしい」
アシュナスは怒りに満ちた目で
賢者を睨んだ。
「人の命を何だと思っている人外め」
キトは振り返ってみせた。
「あれー?タラトットはもういないけど
人外ってなんのこと?」
アシュナスは自在器たるフディアを構え、
現れでもってキトの首周りを
ぐるりと囲んだ。
首周りの現れは刃であり、
キトが逃げようものなら
賢者の首を確実に落としてみせるという
意志が感じられた。
キトは言う。
「人を斬れば霊水は
最後には黒く染まるらしいよ。」
奇しくも、
その霊水にまつわる説を
初めてアシュナスにもたらしたのは
ヒャルセオであった。
アシュナスは
賢者に静かに言った。
「ならば改めて確かめてみるか?
お前が人かどうかを。」
アシュナスは続けて
賢者に問うた。
「そもそもなぜ
お前は戦わない。」
賢者は軽々しく淡々と答えた。
「霊水は賢者の言うことは聞かない。
恥ずかしがり屋なのかもね。
分かってるだろ?
霊水でなければ
タラトットは倒せない。」
賢者は特に表情は込めずに言葉を置いた。
「女神の拒絶か。
それも戯言だろ。
あんたの言葉はどれも戯言だ。
なぜ人間を欺き弄(もてあそ)ぶ?
何が狙いだ!?」
とアシュナスは問うた。
「誤解だよ。皆のことを何よりも
考えてるってば。
それに、万が一ボクに何かあったら
どうやってタラトットを感知するのさ?
物事は俯瞰的に見なきゃね!
何が一番大切なことか分かるはずさ!」
キトは続けて言った。
「それに…ゼイゴウちゃんの
弟子ともあろうフディアトが
なんだい?この現れは…。」
キトは自らの首と
首周りをぐるりと囲む
鋭利な刃の間に指を構えた。
キトの指には
刃物のようなものが付随している。
それは辿れば賢者の着ている
ボロ布の一部が形を変えたものであった。
ボロ布はただの布ではない。
特殊な土や微細な粒子の如き石や
鉱粉で出来ている。
それは
粒泥(りゅうでい)と呼ばれる
賢者達が扱う素材であった。
キトが大岩船での移動中に、
自身の纏っているボロ布の形を
自由に変えて暇潰しに活用出来るのは
このためである。
賢者達は霊水を用いない代わりに
大岩船や棺人形を操り、粒泥を用いた。
ただし、霊水にまつわるものでいえば、
霊水が凝固した律氷たる
シアレイシェムのみ
間接的に扱うことが出来た。
キトは粒泥で作った刃物を
首周りをぐるりと囲むアシュナスの現れに
あてた。
そして賢者はアシュナスに
まるで
感情も温度も無いかのような視線を向け、
言葉を宙に置いた。
「こういうのを付け焼き刃。
っていうんだよ。」
キトの刃が
アシュナスの刃に触れた瞬間。
キトの首周りをぐるりと囲む
首落としの如き、
アシュナスの
刃たる現れは砕け散った。
キトが粒泥で作った刃は、アシュナスが
霊水たるティアマナシアで作った刃を
砕き割る程の強度を持っていた。
それは単に強靭なだけではなく、
物質を破壊解体せしめる微細な
流動を伴った刃である。
とはいえ、
アシュナスの意志が砕けたわけではない。
どれほど強靭な意志を持っていたとしても、
構えた物が硝子の盾であれば、
岩の砲弾が当たった瞬間に砕け散るようなもの。
アシュナスは
キトの首周りにぐるりと
衝動で形作った首落としの如き
禮画をこれまで描いたことがない。
キトの言うように、思いつきや勢いでは
アシュナスといえど脆い現れしか
作る事が出来ないのだ。
砕けたアシュナスの現れは
霊水ティアマナシアと化した。
その霊水は地に散るはずであったが、
そうはならず
あの白き鉱山の受け皿のような
器に回収された。
その器はキトが自身の纏うボロ布の形を
変えたものであった。
キトはその器に載った霊水を
アシュナスに差し出し
言葉を告げた。
「今からウィルカル君の村に
向かうつもり。」
アシュナスはキトを見て
ゆっくりと深く確かめながら
賢者に言葉を返した。
「ウィルカルの…村…だと?」