ゆうしよう最新作
継続は力なり?
では実際にその継続を
毎日リアルタイムで
見れるとしたら!!!?
僕の友人『ゆうしよう』先生が
一年365日
毎日一枚のイラストと
文章を添えるアメブロ連載
『ゆうしようの一日一画』についての
文章です!!
ゆうしよう先生は
岩手出身。
現在進行形の
『継続』の体現者です。
彼は自身のブログ
その名も
『ゆうしようの一日一画』に
“毎日”
絵と文章を載せ続けています。
(ゆうしようの一日一画より抜粋)
僕がこの文章を書いている時点で
すでに1400日を超えています。
1400日毎日絵と文を“発表”し続ける…。
僕にはそんな継続…到底無理!!
今はもしかしたら、
2000日や3000日を
超えているかもしれません!!
この作業は
シンプルに思えて
何か作品を発表したことが
ある方は分って頂けると思いますが
果てしなく、
途方もない作業です。
彼はこの旅路をいつまで続けるかは
分かりませんが、
もし70才、80才になっても
この一画が続いていることを願います。
ちなみにこの文は
ゆうしようの許可なく
勝手に僕の価値判断で
書いていますので
ゆうしよう自身の
一日一画に対するスタンスとの
ズレを多分に含んでいる
可能性があることをご了承ください。
それでは
引き続き一日一画の楽しみ方を解説したいと
思います。
一日一画の楽しみ方
絵と文の多様さ
そしてライブ感を楽しむ
ゆうしようの
スタイルとして
非常に早描きである。
というのがあげられると思います。
彼の絵と文は
実に即興的であり
絵や文でありながら
そこに『ライブ感』を見出すことが
出来るでしょう。
また、
毎日絵のタッチを
微妙に変化させているのも
特徴の一つと言えるでしょう。
多種多様な絵が膨大な数
鑑賞できるわけですから
自分のお気に入りの絵を見つけてみるのも
いいかもしれません。
一日一画は
綱渡りだと思って
サイトを訪れば
ハラハラ感を楽しめる
絵や文章というのは
言ってしまえば
相性や好き嫌いというものも
評価の物差しに含まれますから、
人によって当然感想もバラバラでしょう。
しかし一日一画の
場合、その
発表形態、構造が
極めて特殊である点に注目すれば
新たな視点でたのしめると思います。
そこでこの一日一画を楽しむ一つの
方法として、
綱渡りを見るように楽しむ。
ことをお勧めしたいと思います。
今日も一画やってるかしらん?
今日は雪も降ったし…きっとお休み…
チラ…
今日もやってんじゃんよぉ!!
∑(΄◉◞౪◟◉`)
そんな楽しみ方がオススメ。
今日もお店を開いてる安心感を
お楽しみ下さい。
リアルタイムの大冒険
映画や小説などは
基本的に完成後の作品を
僕らは観ることになると思うのですけど、
製作者の冒険をリアルタイムで
追うことは稀ではないでしょうか?
また、
漫画の週刊連載や月刊連載、
毎日の新聞4コマは
即興的な要素は含まれますが、
基本的にはページ単位の
『決まった作品』をみることと
なります。
しかし
一日一画の場合は
統一された
世界観ではなく
その日その日で
どんな絵、どんな文が
飛び出してくるか
予想ができません。
即興的要素が特に強調された
“即興性”それ自体を
楽しむ作品と言えるでしょう。
それはさながら曲芸師の方が
一歩また一歩と綱を渡り、
バランスを崩しかけても
また一歩を踏み出す情景と
重なるように思えるのです。
さらに…
ゴールの無い
一日一画
ゆうしよう先生は
この綱渡りに『ゴール』を決めていません。
この綱は
どこまでも長いばかりではなく
その長さゆえに
先が存在しないのです。
ここが、個人的には
…一日一画には
恐怖とある種の狂気を感じずには
いられないのです。
是非、『狂気の綱渡り』を
日々鑑賞して頂きたいと思います。
勝手ながら
ゆうしようの一日一画の
解説をさせていただきました!!!!
そして…この一日一画はついに…!!
一日一画は
継続5周年を迎えました!!
希少性の反転
一日一画五周年おめでとう文章は
なぜか、希少性の反転
というお角違いの文章で幕を開ける。
ちなみに…
僕は、ゆうしようを
本気で『凄いな彼は。』と思っています。
ゆうしようくんは僕と全く別種、
対極の性質を持ち合わせているな。
と感じているのです。
僕はとにかく
変化変化変化していかないと
気がすまない。
対するゆうしようという人間は
継続やルーティンを厭わない。
彼は保守的と
自分を揶揄していますが、
僕からすれば、
『絶対性』や『安定』と
捉える事が出来るます。
いや、ホント継続の鬼ですよ。
(ちなみに彼の地元には鬼にまつわる文化が
あるそうで、とても興味深いです。
ご興味ある方は、ゆうしよう君に聞いてみて
下さい。)
ただ、
彼の 一日一画という
スタイルは連載スタイルではなく、
毎回題材を変えるわけで
そういった意味では
ゆうしようにも
『変化』の要素は含まれている
と言えるかもしれません。
ゆうしようは
道なき道を
歩む作家。
『道なき道』というのが
厄介なのは、どうしても
お約束や型破りになってしまうので、
凄さが伝わり辛い側面もあるかもしれない。
枠をとればとるほど
逆に言えば『何でもあり』に
なっていくわけです。
そしてこの
『何でもあり』は
ともすると『よく分からん』
ということになります。
難関校とか、
倍率何倍というのは、
ある特定の『枠』
権威でもなんでもいいですが、
この『枠』を目指すという
具体的目標があり、権威である以上
『“多くの方が凄いと思う枠”』
であるはずです。
それは価値の希少性が高いとも言えるかもしれません。
超絶、数量限定なわけです。
で、『道なき道』は
といいますと、
数量限定に対して、
無限の道を縦横無尽に
歩くわけですから
よー分からん値は
マックスなわけです。
宮沢賢治や中原中也やゴッホは
『???』という評価で迎えられ、
後に、多くの方の共感を
呼んだのは
抽象度、希少性の反転が
起こったのではないかと
思います。
ゆうしようは
希少性の反転を体現する作家?
『なんでもあり』というのは実はありえない。
『なんでもあり』には
なんとなく、『どこにでもある』といったような
“非レア”な感じも含まれている
とは思うのですが、また『ルール無視』みたいな
感覚もあるかもしれません。
しかし、
それが 反転することが
あるのではないかと思うのです。
例えば、ダイヤモンドは希少ですが、
よくよく考えれば、
2つとして同じダイヤモンドはありません。
また、足元に転がる
小石でさえ、同じ石は一つも
ありません。
同じ型の人形であったとしても
自分が手にしている瞬間の人形は
2つとしてありませんし、
データ上のキャラクターだとしても
自分がその時点で感知している
キャラクターは2つとないはずです。
なんでもありのこの世界は
希少でないものは1つも無い。
という気付きのような
ものが生じると思うのです。
そして
ゆうしよう先生も
その象徴の一人なんじゃないかと
勝手に思っています。
そんなわけで、
道なき道をいく彼に
僕は注目してしまうし、
凄いと思ってしまうのです。
作家さんや、詩人の方や、画家の
方を例えに出させて頂きましたけども、
当時その場に居合わせたわけでも
無いので詳しくはわかりません。
ご了承いただきたいと思います。
ゆうしよう君は
ゴールの無い道なき道を歩んでいますが、
逆に ゴールと共に歩み続けているのかな?
と勝手に思っています。
常にゴールという幸運な道を
歩く作家『ゆうしよう』のその先を
これらもご期待下さい。
余談
ウォッチメンの
ドクターマンハッタン。
星の王子様のキツネ。
ちなみ、
希少性の反転に
関しては
ウォッチメンという漫画で
ドクターマンハッタンという人が
言ってることと、
星の王子様のキツネにおける
薔薇の解釈が 同じこと
言ってると思いますから、
まだ未チェックの方にオススメです。
【頂いたコメント】
ジャム丸さんからのコメント:
ブログでは初めまして!そしてお久しぶりです。
この記事が更新されるちょっと前にようやくウォッチメンを読みました。・・・本当ですよ(笑)。一昨年教えていただいたのに遅くてゴメンナサイ・・・。
Dr.マンハッタンが希少性の反転について語ったチャプターの、ラストの詩も素敵だと思いました。
ジャム丸さんへの槙吾のお返事:
ジャム丸さん。
コメントありがとうございます。
Dr.マンハッタンというキャラクターは凄いですよね。。。
ウォッチメン。時間と気合いと
『きっかけ』がいりますよね。
読んで頂いてありがとうございます!是非是非また コメント下さいね!
ゆうしようの
チャンプルちゃんねる
ちなみに…
ゆうしよう君は
YouTubeチャンネル。
チャンプル×チャンネルも
やっていますので、
是非チェックしてみて下さい。