コミック生き物の死にざまわたしはあなたとともにある
の『物語』を書きながら考えたこと。
について綴っていきたいと思います。

このお話はコミックス本編とは
直接関係のあるお話ではありません。
ただ、全く無関係のお話でもありません。

この文章には私の想いや物語的解釈も
含まれていることもご理解頂けますと
幸いです。

このお話は
死と生にまつわるお話では
ありますが、

死を過度に肯定するものではなく、
命や生命を軽んじる内容でもありません。

むしろその真逆のお話です。

生(せい)。
生きている事の大切さ。に
まつわるお話です。

そして『継承』についての
お話でもあります。

そしてもう一つ、
これは『物語』にまつわる
お話でもあります。

単細胞生物から
多細胞生物への旅。

かつて
人間のような『寿命としての死』を
内包していない存在達がいました。

それらの存在は
理論上、
自らを無限に複製できる

単細胞生物でした。

もちろん実際には、
環境の厳しさや
遺伝的な損傷、
または分裂回数の
限界によって
死に至りました。

けれど、
自らにプログラムされた
『いずれ必ず訪れる寿命』
というものは、

最初期の単細胞生物には
存在していなかったそうなのです。

やがてそのなかから、
集合し、合体して
機能を分けることで
より複雑な生き残り方を選ぶ
存在たちが現れはじめました。

それが多細胞生物です。

多細胞化によって、
それぞれの細胞が役割を分担することで、
新たな生き残りのための工夫となり、
さまざまな環境に適応できる能力が
高まりました…

が、

結果として、
多くの多細胞生物の個体に

『寿命』が備わったのです。

これらの多細胞生物は
大いなる力を手に入れた代わりに、
『やがて必ず終わりを迎える存在』となった
とも言えるかもしれません。

だけど、その“終わり”は、
単なる『消滅』を
意味していたわけではありません。

それは、
命を受け継ぐため、
『個』を超えた
『継承』のための
“終わり”でもありました。

そして『寿命による死』を
受け入れたことで、
多細胞生物たちは、
世代交代のたびに、
遺伝のバリエーションが増え、
変わりゆく環境にも
柔軟に対応できる力が
育まれていったのです。

だけど…
『遺伝のバリエーション』や
『適応能力』以外にも、

『寿命という死』が
もたらしたものがあると、
私は思うのです。

それは、

『限りの尊さ』だと。

『寿命による死』は
“『生』に『限りの尊さ』”を
もたらしたのではないかと。

そう思うのです。

もちろん、
これは“極めて主観的な感覚”です。

だけど、
この主観を綴る
という行為そのものを含めて、

『限りの尊さ』を、
ただ感じるだけでなく、
深く理解し、
多様に表現することが
人類には可能だと思うのです。

また、客観的に見ても、
人類は『死』を概念として理解し、
その意味を考え、死のもたらす
『限り』に『尊さ』を見出し、
さまざまな文化にまで
昇華させてきたのだと思います。

そして、人類以外にもたとえば
ゾウやウマなど複数の動物達が
死んだ仲間に対する特別な行動を
とる事も知られています。

それらの行動もまた、
それぞれのかたちで、
かけがえのない命を
見つめる営み
なのかもしれませんし、

もしかしたら
私達が考えるよりも
深いレベルで行われている
弔いの儀式なのかもしれません。

どちらにせよ、
それぞれがそれぞれのやり方で、
『限りある命』を受けとめている
そんなふうに思えるのです。

『限り』とは不思議なものです。

『寿命という死』があるからこそ、
命に限りがあるからこそ、

私達は、
『どう生きるか』
『何を残すか』を真剣に考えるように
なったのかもしれません。

『限りの尊さ』があるからこそ、

時間に、そして生きること自体に
人類は『意味』を見出し、
そしてその意味を
語り継ぐ『“物語”』が
紡がれてきたのかもしれません。

それは、
単なる生物としての死を超えた、

人類が築き上げた
『継承の形』ではないでしょうか。

つまり、
『寿命による死』は、
多くの多細胞生物たちには、
世代交代による生存の優位性や、
適応能力、多様性をもたらし、

そして人類には、
『始まり』と『終わり』が存在する、

『物語』を
もたらしたのではないかと私は思うのです。

だけどそれは
人類が誕生してから
始まった物語ではなく、
小さな単細胞生物だった頃から
始まっていた物語だったのかも
しれません。

かつて
死を遠ざけようと試みた
極小の細胞だった存在の
旅の果て。
という物語だとしたら。

かつて
ある単細胞生物達は
生き残るために、
生きる可能性を広げるために、

合わさり、補い合い
多細胞生物となった。

その存在は
結果として、より強く、
大きく、環境への適応力を
高めることになった。

だが、その存在が
たどり着いた旅の果てには
大いなる力と引き換えに
自ら備えた寿命という死があった。

そこでその存在は
自らの命を次の世代に
託すことにした。

かつて極小の存在達が
生き残るために始めた旅は
自分よりも大切な存在のために
『寿命という死』を受け入れ
限りある尊い『生』を譲る
『継承の旅』でもあったのだ。

本来進化や環境への適応は
“結果”であり、
意図的な方向性でもって
成されてきたプロセスでは
“ない”かもしれません。

しかし、単細胞生物から
多細胞生物への進化の流れが
ある方向性を持った
『物語』だとしたら…

そう考えると
とても感慨深いと思うのです。