ニビルは誰からも認識されない子供でした。

時折、誰かが彼を
知ることもありましたが、
皆すぐにニビルを忘れてしまいました。

親もほとんど家におらず、
ニビルには親と話した
思い出がありませんでした。

ニビルは次第に、自分は人には
見えていないのだと
思うようになりました。

引っ越しも多く、
親はいつも「もうここには住めない」と
遠くで話していました。

ニビルの家にはテレビが
ありませんでしたが、
図書館でさまざまな本を
読むのが好きでした。

本を読むうちに、
ニビルはあることに気づきました。
物語に登場する人物たちは、
互いに目を合わせるのです。
仲の良い友達、恋人、ライバル…
微笑み合ったり、見つめ合ったり、
睨み合ったり…

みんなが互いに
目を合わせるのです。

しかし、ニビルは違和感を覚えました。

彼には、誰かと目が合った記憶が
なかったのです。

人と人は目を合わせないものだと、
そう思っていたのです。

だから
ニビルは『図鑑』を読みました。

『図鑑』にはライバルや親友、
恋人みたいな、ニビルにとって
違和感のある人達が
出てきませんでしたから。

だけど、『図鑑』にも
嫌いなページがありました。

ニビルは動物の
ページが嫌いでした。

ライオンが嫌いでした。
キリンも嫌いでした。

動物のページには
群れの仲間や親子の写真が
たくさん載っていたからです。

ニビルは動物を見ていると
悲しい気持ちになりました。

ニビルは
花のページが嫌いでした。

チューリップが嫌いでした。
コスモスも嫌いでした。

花がちっとも
美しいとは
思えなかったからです。

ニビルは花を見ると
暗い気持ちになりました。

他にも沢山の
ページが嫌いでした。

ニビルにも
好きなページが
ありました。

それは宇宙についての
ページでした。

大きな大きな
宇宙のページを読むと
自分が誰にも
見てもらえないことなんて
どうでもよくなるからでした。

そして、
原子のページも好きでした。

小さな小さな
原子のページを読むと
この世界は物質で出来ていて
物質は原子で出来ていると
書いてありました。

原子はまんなかに
原子核があって
周りを電子が飛んでるんだと
書いてました。

それに、こうも書かれていました。

原子核と電子の間は
とてもとても広くて
スカスカで
何もない空間なんだと。

ニビルは
思いました。

原子って
幻みたいだな。

原子って
僕みたいだ。

この世は小さな小さな
幻みたいな原子が
たくさん集まって出来ている、
幻みたいな世界なんだと
ニビルは思いました。

そして、
それは本当のことだと
思いました。

自分は透明人間かもしれないと
いつも思っていたからです。

それからこうも思いました。

もしかしたら
この世界はホログラムのような、
ゲームみたいなもので、
みんなプログラムのように
動いているのかもしれない。

だって、
僕はみんなに気付いてるけど、
みんなは僕に気付かないから。

だけどもし、

僕だけが幻で
僕だけがホログラムで
僕だけがプログラムで

僕だけがバグだったら?

そんなふうに思ったら
ニビルの目から
涙が溢れてきました。

悲しいのかどうかも
分かりません。

ただ涙が出て
止まらないのです。

ある時、
いつもよりたくさんの涙が
溢れた夜が明け、

ふと窓の外を見ると、

二人の男の子が
向かい合って
遊んでいるのが見えました。

すると、
二人のうちの一人が、
ふとニビルの目を見つめました。

その男の子は、
ニビルを見たのです。

ニビルも、彼を見つめ返しました。

ニビルは生まれてはじめて
人と目を合わせました。

ニビルは思いました。

その男の子は運命の人だと。

この世でたった一人の
唯一無二の親友なのだと。

男の子は向かいの男の子と
『競技』で遊んでいました。

二人は『競技』を
学ぶための
道場にも通っている
みたいでした。

もう男の子と目が合うことは
ありませんでしたが、
何日かニビルは
男の子を見ていました。

ニビルを見つめた
その男の子の名前は

日ノ出春晴(ひのではるばる)と
いいました。

そしてニビルはいつものように
引っ越すことになりました。

だけどニビルは
今までのニビルでは
ありませんでした。

ニビルには夢が出来たのです。

唯一無二の親友と再会する夢が。

そして、
自分と日ノ出春晴は、
自分達は、お互いに
この世でたった一人の

無二の親友なんだと
確かめ合う夢が。

月日がながれ

ニビルも『競技』の練習を
するようになっていました。

誰も見ていなくても
『競技』の練習をしました。

誰も見ていないことなんて
へっちゃらでした。

元々誰もニビルのことを
見ていませんでしたから。

ニビルは黙々と
一人きりでの練習を
当たり前のように
やっていました。

ニビルは
日ノ出春晴に見つめられて以来、
たまに人と話すようにも
なりましたし、
『競技』で
対戦をすることもありました。

だけどしばらくすると
みんなニビルを
忘れました。

ニビルに友達は
いませんでした。

だけど、
あの男の子、
日ノ出春晴は
きっとみんなと違うはずだ。

ニビルは毎日そう想いながら、
日ノ出春晴と
再会できる日を夢見て
眠りにつきました。

さらに月日は流れ、
ある時、『競技』の
大会があると知りました。

それは
120年に一度きりの
大きな大きな大会でした。

ニビルは確信しました。

必ずあの男の子、
日ノ出春晴は
この大きな大きな
120年に一度きりの
大会に出場するのだと。

そして本当にニビルはその大会で
日ノ出春晴と再会したのでした。

だけど
日ノ出春晴の隣にはまだ
あの向かいの男の子がいたのです。

日ノ出春晴と
向かいの男の子は
自分達のどちらかが
優勝するのだと
約束していました。

ニビルはそのことに
違和感を覚えました。

優勝するには
決勝に行く必要がある。

決勝に行くのは
自分と日ノ出春晴なのに。
と思いました。

きっと
日ノ出春晴は
勘違いしているんだと
思いました。

ニビルは二人に
話しかけてみました。

向かいの男の子も
そして日ノ出春晴も
ニビルの事を覚えてないと
言いました。

向かいの男の子が
そう言ったことについては、
なんとも思いませんでした。

ニビルは
普段認識されないし、
少しやり取りをしたところで
数日も経てば、
皆の記憶から
自分が消えている事には
慣れていましたから。

だけど、
日ノ出春晴が
ニビルの事を
覚えていない。
というのは
信じられませんでした。

だって、ニビルが
生まれて初めて
目が合った人が
日ノ出春晴だったのですから、

絶対に運命的な何かが
あるはずだし、
それを日ノ出春晴も分かってるはずだと
ニビルは思いました。

きっと日ノ出春晴は
照れているんだと
ニビルは思いました。

ニビルだって
照れていたのです。

ニビルは大会の準決勝で
あの、向かいの男の子と
戦うことになりました。

戦いながら
向かいの男の子は
決勝しか
見えていないんだ!!
と言いました。

それは
決勝で日ノ出春晴と
戦うことを意味していました。

日ノ出春晴と決勝で戦うことしか
見えていない。

そんなこと。

当たり前だと
ニビルは思いました。
ニビルは毎日。
そう思い描いていたのです。

だからニビルは向かいの男の子の
言葉を聞いて
こう思いました。

こんなところで僕が
負けるはずがない。

そして実際に
向かいの男の子に
勝利したのです。

ニビルは
向かいの男の子の
名前を知っていたし、
口にも出してもいたし、
会話もしていたけど、

心の中では

ただの
日ノ出春晴の
向かいの男の子でした。

たまたま
運命の親友の
向かいに住んでいた
“だけ”の男の子。

ニビルが
『競技』で向かいの男の子に勝った時、
本当のところ良い気分でした。

ずっと奪われていた
大切な宝物を
少しだけ取り戻せたような
気分だったからです。

だからニビルは
向かいの男の子に
言ってやりました。

「たった一人の
親友との約束…、守れなかったね…。」

ニビルは
向かいの男の子が
日ノ出春晴との
約束を守れないのは
当然だと思いました。

なぜなら
向かいの男の子は
日ノ出春晴の
“ニセモノの”親友で、

自分こそが、
日ノ出春晴にとって
本当にこの世でたった一人の
唯一無二の親友だと
信じていたからです。

泥棒を懲らしめてやったような
清々しい気分でした。

これで、日ノ出春晴と
本当に互いが親友だと
確かめ合う時が
来るんだと思いました。

ついにニビルは
大きな大きな大会の
決勝で日ノ出春晴と
『競技』をすることになりました。

決勝でニビルは
胸が張り裂けそうなほど
嬉しい気持ちになりました。

そして
『競技』の決勝戦が
ついに…始まったのです。

ニビルはワクワクしました。
最高の瞬間だと思いました。
心が躍って躍って
たまりませんでした。

この世界で
たった一人の
唯一無二の親友と
全力で『競技』ができるのですから。

ニビルは
この日を夢に見て
毎晩眠りにつきました。

そしてもう少しで
夢が完全な形になる瞬間が
迫っていました。

そう、
お互いがお互いの
唯一無二の親友であると
確かめ合う

その瞬間が。

ニビルは
日ノ出春晴に
言いました。

「すごい、すごい、いい勝負!!

「ボクたち、最高のライバルだね!!」

ニビルはまず、
日ノ出春晴と自分が
最高のライバルであることを
確かめ合いました。

日ノ出春晴は黙っていました。

ニビルはワクワクが
止まりませんでした。

自分と日ノ出春晴は
熱い友情バトルを歴史に
刻むのだと思いました。

今までの努力が
報われた気がしました。

自分と日ノ出春晴は
やはり最高な関係なのだと

そう思いました。

そして、
次はいよいよ
お互いが親友であることを
確かめ合う瞬間です。

その時です。

日ノ出春晴は
こうニビルに叫びました。

自分はニビルに勝って
向かいの男の子の分も優勝するのだと。

ニビルの時が止まりました。

一瞬。自分が何を言われたのか
理解出来ませんでした。

ニビルの中から
何か暗いものが
立ち上がってくるのを
感じました。

ニビルは
日ノ出春晴に何て言ったのかを
聞き返しました。

聞き間違いかもしれません。

日ノ出春晴は言いました。

ニビルの事を
思い出したと。

何年か前に
“一瞬だけ”見たのだと。

思い出すのに
時間がかかったのだと。

ニビルはあの日から、
日ノ出春晴と目が合った、
運命のあの日から
日ノ出春晴のことを

“一瞬たりとも”忘れたことなど
ありませんでした。

それなのに、
日ノ出春晴は
『競技』の最中に
あの、向かいの男の子の
話ばかりするのです。

日ノ出春晴は
本当に
ニビルのことを
さっきまで
忘れていたのです。

日ノ出春晴は
本当に
ニビルのことを

友達とは
思っていなかったのです。

ニビルの
心のまんなかの
底の底から
どんな絵の具でも
塗りつぶすことの出来ない
黒いものが溢れ出てきました。

ニビルは
その黒い黒い
ドス黒い感情を
丸ごと全力で
日ノ出春晴に
ぶつけました。

それでも
日ノ出春晴は
向かいの男の子の
話をしながら
さんさんと輝いていました。

そしてニビルは
日ノ出春晴に
『競技』の決勝戦で
負けてしまいました。

日ノ出春晴は
120年に一度の
大きな大きな
『競技』の大会の決勝で
戦ったにも関わらず、

ニビルのことを一度たりとも
友達とは言いませんでした。

だけど、
日ノ出春晴はニビルに
今後も
『競技』の相手だったら
いつでもすると言いました。

ニビルの夢は
とっくに破れていました。

ニビルはこの先
どうしたらいいのか
分かりませんでした。

だからニビルは
日ノ出春晴についていくことにしました。
日ノ出春晴には目的がありました。
それは向かいの男の子を
探しにいくことでした。

向かいの男の子は
ニビルに準決勝で負け、
日ノ出春晴と決勝で
戦えなかったことが
あまりにショックで
姿をくらましたのです。

ニビルは
日ノ出春晴について行き、
高い電波塔を登りました。
この電波塔を使うと
世界のどこかにいる
向かいの男の子の
居場所が分かるのです。

向かいの男の子を
探す冒険には
ニビルと日ノ出春晴以外にも
何人かが参加していました。

ニビルは
日ノ出春晴とも
他の何人かとも
何度か話したりもしました。

だけど、ニビルには
分かっていました。

この時間は一瞬で過ぎ去り
そして しばらくすると
皆自分のことを
忘れてしまうことを。

そしてついに

日ノ出春晴や仲間達は
大きなお屋敷の中に
向かいの男の子がいることを
突き止めたのでした。

ニビルは
日ノ出春晴と仲間達に
ついて行き、
大きなお屋敷に向かいました。

そこには、あの
向かいの男の子がいました。

そして日ノ出春晴が
今まで出会ってきた仲間達や、
日ノ出春晴と
向かいの男の子が
通っていた道場の生徒達、
他にも大勢の人が沢山
集まっていました。

日ノ出春晴と
向かいの男の子が
そこで『競技』をするからです。

皆が二人の『競技』対決を
見に来たのです。

日ノ出春晴は
傷ついた向かいの男の子の心を
『競技』を通して
救おうとしているように
ニビルには思えました。

そして二人の
『競技』が始まりました。

ニビルは
見ていました。

自分の唯一無二の
親友だと思っていた日ノ出春晴と、
日ノ出春晴のニセモノの親友だと
思っていた向かいの男の子との
対決を。

二人の『競技』対決は
激しさを増していきました。

ニビルは思いました。
二人にとってのそれは
どんな会話をも超える
心の交流なのだと。

少しずつ…
ニビルの中から
何が消えてゆくのを
感じました。

二人の対決は
とても特別に見えました。

二人にしか見えない世界。
沢山の思い出を
共有し、ぶつけ合う世界。

まるで、それは
心と心で見つめ合っている
ようでした。

そして競技が終わった時、

ニビルは
確信しました。

自分は

日ノ出春晴の
唯一無二の親友には
なれないのだと。

自分は決して、

向かいの男の子、

黒無来智(くろなし らいち)
の代わりには
なれないのだと。

みんなが
日ノ出春晴と黒無来智を
祝福するために
駆け寄りました。

ニビルは
自分が悲しいのかは
分かりませんでした。

涙も流れませんでした。

そしてニビルはその場から
離れました。

 

 

みんなの輪から
一歩。また一歩と離れて行きました。

 

 

 

それはニビルにとって
いつものことでした。

 

 

 

ニビルは思いました。
きっと夢をみていたんだ。

 

 

小さな頃に
読んだ『図鑑』を想い出しました。

 

 

 

ライオンはライオン。
キリンはキリンでした。
チューリップはチューリップで
コスモスはコスモスでした。

 

 

 

宇宙の話を思い出しました。
とても大きな星々でさえ
いつかは消えるんだ。

 

 

 

 

 

宇宙の中のほんの小さな
自分がいなくなったところで
そんなこと
どうだっていいと思いました。

 

 

 

 

原子の話を思い出しました。
やはり自分は透明な存在なんだ。

 

 

 

 

誰もニビルを見ていませんでした。

 

 

僕が誰かに覚えられることは

この先もない。

 

 

 

 

 

それが僕だから。

 

 

 

 

 

 

 

僕はニビルだから。

 

 

 

 

 

 

 

そして、ニビルは

 

 

 

 

 

 

 

 

まるではじめから
いなかったかのように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消えゆくのでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ニビル。もう帰んのかよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声の方に向かって、
ニビルは振り返りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日、道場に来いよ。」

そう日ノ出春晴は言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日から
道場には
ニビルの姿がありました。

 

 

 

 

ニビルを認識して
ニビルのことを覚えて忘れない
“友達”が少しずつ増えてゆきました。

 

 

 

 

 

 

月日は流れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニビルはやっぱり
大きな宇宙の話が好きでした。
そして、
小さな原子の話も好きでした。

そしていつの間にか
動物が好きになっていました。
花を綺麗だと思うようになっていました。

他にも
沢山のものが
好きになりました。

やがて大人になった
ニビルは自分と同じように
認識されない子供達を一人。
また一人と救っていきました。

そして、多くの
仲間とともにその
生涯を歩むのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸福な生涯を。