じぶんだけのいろ
いろいろさがした
カメレオンのはなし
個人的解釈
僕の好きな絵本
じぶんだけのいろ について、
じぶんなりに
出来るだけネタバレに
ならないように、
個人的な解釈を書いていきたいと思います。
じぶんだけの いろ
=自分探し
この絵本は表紙の絵から
分かる通り、カメレオンに
まつわる物語です。
またタイトルの
じぶんだけのいろ
からも連想できるように
自分探し
についてのメッセージを
読み取ることが出来ます。
なるほど、
カメレオンが
自分探しの遍歴ののちに、
じぶんだけのいろを
見つける話か。
と思いきや、
そこはレオ=レオニ先生です。
そう単純なお話でもありません。
この物語は
“自分探しの構造そのもの“を
描いた作品だと僕は思っています。
それも
とてつもなくシンプルに。
大げさかもしれませんが、
自分探しについての
2時間ものの映画を
見たような感覚になり、
僕の絵本についての
衝撃体験の一つとなっております。
自分探しという言葉は
『自分』と『探し』
からなるわけですけども、
そもそも
“自分”を“どこで”探すのでしょうか?
自分の内側?
それとも外側?
内側もいいかもしれません。
ダルマ大師も
9年壁に向かって
座禅をくんだそうですし、
家から一歩も出ずに
自分を探すという方法もある
でしょう。
ネットの世界はもちろん、
昨今ではVRも発達してきて
ますから、内なる外に
出かける選択肢も増えたかも
しれません。
しかし、どちらにせよ
“探す”ということ、
主観としての
“ここではないどこか”を目指す。
という構造においては
内を探すことも
外を探すことも
本質的な違いは無いのかもしれません。
しかしながら
探すのであれば
その“どこか”が
“どこかにちゃんと
あってくれないと”
困るわけですよね。
ちゃんと
住所がないと。
ちゃんとその場に
いてもらわないと
その“どこか”にたどりつけない
じゃないですか。
その“どこか”が
流動的であったとしても、
時刻表や
停留所はほしいわけです。
行ってみたけどいなかった。
だけど待っていたら
来るかもしれませんから。
だけど
昨日まであったお店が
テナント募集中になっている
ことがさほど
珍しく無い今日この頃、
万が一。偶然。運良く。
“どこか”に
辿り着けたとしても、
“自分”ってなんだっけ?
鍵とかおにぎりとか
見たり触れたりするものなら
探しやすそうだけど
“自分”って?
10年前に食べたかったものさえ
覚えてなくて
昨日と今日で
考えることさえ違う
“自分”って?
つまるところ
探すからには
“確かなもの”が
必要なわけです。
たしかにつかめるものが。
この絵本には
自分探しにおける
その“確かなもの”
一つの方向性が
示されています。
じぶんだけの いろ…
…確かなもの?
僕はなぜ、
この絵本に惹かれたのか。
自分探しの構造が
とてつもなくシンプルに
描いかれていることに
驚いたことは
理由の一つにあげられます。
だけどそれだけではなく、
先ほど書きました
“確かなもの”
この確かなものの描写が
僕の心を捉えたのだと思います。
“確かなもの”って、
絶対に誰もが
手に入れることが
出来るものなんだろうか?と。
“確かなもの”って
時間の進行に耐えられるもの
なんだろうか?と。
あれ?
この確かなものって
確かなものなんだろうか?と。
確かなものに
どうしても
想いを巡らせ、
続きをどうしても
連想してしまう。
この部分に
僕は強く
惹かれたのではないかと
思います。
じぶんだけのいろは
現代に生きる人間にオススメ?
『人』ではなく
“人間”と書いた理由は、
人は人の間にあってこそ人間。
という言葉のような
テーマがこの絵本には
内包されていると
僕は思っているからです。
現代は
目まぐるしい変化の時代。
会社
学校
お店
家族
友人
他にもたくさんのモノ
この中にどれほど
“確かなもの”が
あるでしょうか?
逆に言えば
何か一つでも
一時でも
“確かなもの”に
出会えたら
それはとても
幸運なことではな
ないでしょうか。
僕自身、
引っ越しが
原因で
世界がごっそり
変わってしまう
体験をしていますし、
僕の通った
小学校も中学校も
大きな公園も
すでに無く、
小学校にいたっては
取り壊されて
別の建物が立っています。
100年以上歴史のある学校でした。
100年の間は存在することが
当たり前だったということ。
しかし今はもう、
石碑としての
跡形が残るのみとなって
しまいました。
皆さんも
多かれ少なかれ
このような体験を
しているのでは
ないのでしょうか。
この
変化の早く激しい時代、
誰にとっても
じぶんだけのいろは
こころに響く部分が
あると思います。
じぶんだけのいろ解説まとめ
自分探しに意味は無い?
僕がこの絵本から
得たものは多岐に渡りますけども、
あえてまとめるなら、
誰しもが
移ろいゆく世界の中で
確かなものを探す。
その構造そのものを眺めることで
自らの選択もまた
俯瞰して見ることが
出来る。
ということに
なるかなと思いました。
この本質的にはよるべない世の中で
自分探しをすることは
普通のことではないかと思います。
自分探しが起点となり
様々な物事に出会う。
だからこそ
様々なことに気付ける。
のではないでしょうか。
意味無いどころか
絶対に意味はある。
意味無いわけがない。
と僕は思います。
じぶんだけの いろ
個人的解釈でした🚥